色々と検証してみたい広告関連企業マン

日々の出来事や考えをつらつらと書く外資系企業事業開発担当のブログ

方言について考えてみた

方言ってなんのためにできた?

そもそも方言ってなんでできたのか知らなかったので、軽く調べてみた。
  1. 都(または、その地域の文化の中心地など)で生まれた新しい言葉が地方に広まっていき、都ではその語がなくなったにも関わらず地方に生き残ったという場合です。 
  2. 昔は今のように交通手段が少なかったため、各地域(昔は地方ごとにくにと呼んでいた)で新しい言葉が生まれることもあった。
上記が方言ができた理由として有力なよう。

たしかにいろいろ思い当たるところはあるなと思う。
日本語だけでなく、英語などでも各地方によって訛りがあるというのはよく聞く。

言語も生き物ということだろう。

今、皆が各国の言語を話すのに加え、全世界で英語、中国語など多くの人が喋ることができる言語がある。

各国の言語ももはや世界という国で見立てた時には方言ということなのだろう。

共通言語とローカル言語

共通言語を持つことで、多くの人とコミュニケーションをとることができるようになり、国という壁を乗り越えることが容易になった。

たしかにすごいことだし、いいことでもあるだろう。

ただ、すべて良いことなのかが私にはまだよくわからない。

ローカル言語には、意味の定義が違う場合ももちろんあるだろう。

例えば、「戦争」というワード1つでも意味の重さは国(歴史の背景、文化)によって、全然違うのではないかと思う。

その上で、共通言語を使うことによるハードルを感じたことは皆あるだろう。

向こう100年など経過した時にまた新たな言語ができてたりして。

個人的な方言に思うこと

なによりなくなって欲しくない
これは方言が羨ましい(羨ましいけど)とかかわいい(かわいいけど)とかそういうことではなく、過去の背景が方言にはたくさん詰まっているのではないかと思うから。

過去があって今があるのは間違いない事実なので、それをある意味後世に伝えるツールが1つ言語なのではないかなと思う。

祖父から戦争時代の話をすべて聞けなかったかつ亡き父から仕事のことや家族、考え方など何を経験してきたのか聞ききれなかった自分にとって、聞いた言葉は頭に残っているので、言葉の節々になにかヒントがあるのではないかなとこれを書いていて思っている。

ちょっと考えてみよう。

みんなにとっての方言も気になります。