自分史-小学校、中学校編-
自分史
ふと中学校の時に自分史(自分の過去の歴史を自分視点で書くというもの)を書いたなと思い、家を必死に探したけど、見つからないので、自分を思い出すために改めて書いてみようかと思う。
小学校時代
今までの自分の人生の中で間違いなく一番忙しい生活を送っていたと言える。
- 水泳(朝5:30〜7:30)
- 書道
- スポーツクラブ
- 公文
こんだけの習い事をやらせていただいていたことは両親に感謝しなければいけないなと社会人になったはものすごくわかる。
こんだけの習い事をやるのに、月1つ1万だとしても4万円かかるのだから。
この4つの習い事で今の自分が構成されているものが多くある。
まず、水泳。
通称鬼コーチと言われる指導者の下、毎日練習をしていた。
25Mプール息継ぎなしで12本を1分サイクルで泳ぐであったり、1時間半みっちり練習した後で、過去のベストタイム+1秒を目標タイムとしてその目標タイムを切らないと練習が終わらないといったようなものだ。
間違いなく、この経験で諦めない心、負けず嫌いの性格が形成された。
次に書道。
小学校の6年間習っていた。
最終的に毛筆3段くらいになっていた。
字はその人が表れる
ってよく言うけど、自分が思うのは
字はその人が表れるが、表すこともできる
ということ。
字を書く際の止め、払い、
引用:全国硬筆コンクール
上記のような感じ。
上記の図を見るだけで印象が変わるのがわかるだろう。
他にも偏の大きさなどで字の印象を表現することができる。
いかに同じ文字を書いても自分らしさを表現するかということが独自の世界観を作ることができて楽しかった思い出がある。
この習字を通して、自分らしさの表現と対外的な見せ方の多様性があることを学んだ。
最後は、公文。
公文で自分の中で身になったと感じることはまさに公文のCM!!
左辺と右辺どこが空欄になっていても、算数の問題になることを知り、物事をどの視点から見るかで考え方を変えることができる、またどのように考えるかの道筋を立てる力を養うことができたと思う。
中学校
中学校は下記2つだろう。
- 世の中の広さを知ることによる挫折
- 泥臭く努力することの大切さ
一つ目の「世の中の広さを知ることによる挫折」に関しては、
小学校時点で公文をやっていたアドバンテージによって、私立の中学校に進学してもある程度好成績を残せるだろうと天狗になっていた。。(あの時は自信過剰だったな・・・)
しかし、一番の得意科目の算数であってもどんなに勉強しても勝てない相手が一人ではなく、何人もいた。
小学校時代でなにかしらの科目で1位を取れたからってグループを広げたら、もっと上はいくらでもいるということを身をもって知った。
これ以来、いくら成功しても満足せず、もっと上がたくさんいるという風に考えるようになった。
二つ目は、「泥臭く努力することの大切さ」だ。
野球部に入ったのはいいが、少年野球経験者がたくさんの中で、完全なる未経験者で入部。(入ったきっかけはクラスメイトに「オレと一緒に甲子園目指そうぜ!」って言われたから。中学に甲子園ないと知ったのは、入部後という…)
3年間続けた結果、経験者からレギュラーの座を奪うことができた。
最初は未経験者ということもあり、練習メニューから別でどんどん差がつく一方だというのを思い、練習後自主練習で、チーム全体でどういうことができる人が必要なのかを考えた。
その結果、私は一塁手だったので、どんなショートバウンドのボールでも裁くことができて、出塁できる可能性の高い選手という結果を身につけようと考え、ショートバウンドをいかに後ろにそらさずに、取るということを徹底して練習した。
(強豪校だったら、そんなん当たり前だよって思うかもしれませんね・・・)
その時に自分の中で今でも頭の片隅に置いているのは、どんなチームでも完璧な組織はないということ。
敵であれば、そこを突く戦略を取る。
味方であれば、それを補完できる人材は誰なのか。最短距離に自分がいるのであれば、そこを習得すれば自分のスキルアップになる。
これが小学校、中学校で身についた自分の要素の一つだろう。
あなたの要素は何でしょうか。