色々と検証してみたい広告関連企業マン

日々の出来事や考えをつらつらと書く外資系企業事業開発担当のブログ

カンロ飴の歴史とビジネス戦略

先日とある番組でカンロ飴の歴史をやっていたので、ふと気になり自分なりに考えてみた。
 

カンロ飴とは?

http://tabizine.jp/wp-content/uploads/2015/06/37440-02.jpg

東京都中野区に本社を置き、を中心とした菓子を製造する日本の食品メーカーである。キャッチフレーズは「ひと粒のメッセージ」。

創業地である山口県光市と、長野県松本市、長野県東筑摩郡朝日村に製造拠点を置く。研究所は東京都江東区に置いている。

社名の由来は、中国故事から、天から降る甘い露であり、不老不死の薬の意でもある「甘露」(かんろ)に因み、子供たちに親しまれるよう、カタカナ表記の「カンロ」とした。 コーポレート・スローガンは「カンロはお口の童話です」。

引用:Wikipediaより

そんなカンロ飴が生まれた際の会社としての商品コンセプトはご存知だろうか。
私は知らなかったが、日本人が誰もが好む飴菓子というものだったらしい。
その中で当時も今も日本人の誰もが親しみのある醤油に着目したとのこと。
 
醤油を元に飴菓子の開発に着手していたそうだが、醤油が焦げ付いてしまったりといったような商品開発時点で苦難の連続だったそうだ。
 
その中で創業者がこの商品を開発すべく、醤油製造会社と提携し、カンロ飴専用の醤油の開発に踏み切り、カンロ飴が誕生したという経緯があることをテレビ番組を通じて私は知った。
 
この当時から業界をまたがっての商品開発というものは、行われていたとうのは興味深かった。
 
それに加え、カンロ飴の差別化戦略は下記のようなことを行っていたそうだ。
  • 他の飴より2倍の値段
  • 一粒ずつの包装

当時、今ほど日本経済が発達していなかったと考えられるので、価格戦略上通常の飴より2倍以上の価格を設定するのはなかなか難しい戦略だったかと思われる。

 

そこで、消費者から高いというイメージを払拭するために2つ目の一粒ずつの包装を行ったのではないかと考えた。

今では一般的な一粒ずつの包装というのはカンロ飴が日本で一番最初に導入したやり方とのことだ。

これが一般消費者に受け、日本で爆発的なヒットになったとのこと。

 

商品コンセプトとしても新しいものを市場に投入し、かつマーケティング戦略もものすごい練られたものではだったのではないかということがうかがえる。

 

また、Wikipediaで歴史をさかのぼっていたところ、

という内容を見かけた。

日本で最大級の財閥企業かつ、販売・物流・海外展開するにはうってつけの三菱商事とも販売代理店契約を結んでいたのだ。

そして、60周年を迎えた今カンロ飴がリニューアルをしたとのこと。

macaro-ni.jp

当時、カンロ飴を食べて育った世代が親の世代になった今、カンロ飴を懐かしい商品として食べてもらいつつ、子供とのコミュニケーション、孫とのコミュニケーションを育む食べ物として再度カンロ飴の復興へ動き出しているようだ。

 

現在でもカンロ飴に代わるような商品と言われてぱっと思いつかないだろう。

今後のカンロ飴の動向を注視していきたいと思う。